東京兼喜会のあゆみ

東京兼喜会のルーツを辿れば、1889年(明治22年)10月に発足した「カネキ工商会」の結成に遡る。
清水建設が清水店(後に清水組に改組)として活動していた時期、現在の社員を指す「店員」と、協力会社(専門工事業者)全体の呼称であった「諸職方」との親睦と情報交換の場として組織したのが始まりである。この工商会はその後、「カネキ会」「兼喜会」と改称するが、第1次世界大戦が勃発した1914年(大正3年)の12月に解散する。世情の不安定が影を落としたのであろうと推察される。

しかし、解散の翌年に職方だけによる「清水組本店諸方組合」が発足。3年後の1918年(大正7年)になり、清水組の公認を得ていた発足時の規約を大改正し、店員13名を顧問に、21業種47名の諸職方を組合員とする職方独自の組合が正式に産声を上げる。現在の兼喜会に連なる元請への協力会の性格を持つ団体が結成されたのである。

清水組本店諸方組合の詳しい活動記録はない。しかし、活動中断などを挟み、1920年代(昭和初期)には「清水組本店職方組合」と名を変え活動を続け、それまで大工のみで結成していた「匠友会」「清水組大工組合」も糾合するなどして活動を本格化。1934年(昭和9年)には「兼喜会」と改称して本社公認となり、戦後の1948年(昭和23年)に職業安定法により解散を余儀なくされるものの、1952年(昭和27年)に復活して現在まで足跡を記している。

東京兼喜会は2019年(平成331年)2月に創立100周年の記念式典を開いた。これは1918年(大正7年)に職方だけによる組合発足時を創立年と定めていることによる。