共存共栄の理念―「車の両輪」

清水建設と兼喜会の関係は、しばしば「車の両輪」にたとえられます。この言葉は、兼喜会報の創刊号(昭和35年10月発刊)の巻頭で、清水康雄社長が「当社と兼喜会の関係は、車でたとえて言えば、車体と車輪の関係であって、車体があっても車輪がなければ車の使命は果たせません。車輪が丈夫で立派でなければスピードもでませんし、重い荷物を乗せて走ることもできません。会社は車体の整備に全力を尽くしますから、兼喜会は車輪の整備に力をいれていただきたい」と、車にたとえて共存共栄の理念を示されたことに由来します。
 昭和44年(1969)の全国連合兼喜会10周年式典の席上では、当時の吉川社長が「1.当社は受注活動に勝つために、コストダウンに全力を傾注すると共に、科学的な工程管理、施工改善に努め、生産性の向上を図る。兼喜会も労務の調達にとどまることなく、責任施工体制の確立を急いでほしい。2.優劣は当然の帰結であり、無為無策のままその場に安住し、いつまでも清水建設の指導理念に順応できない者は脱落のほかない。3.時代がどのように変わろうとも、清水建設がある限り、また兼喜会がある限り、苦労を共にして、繁栄を共に分かち合おう」と、言葉を結ばれています。
 さらに、昭和49年(1974)、丸の内地区の三菱関連企業爆破事件の後始末や、同年引き続いて起きた多摩川氾濫による堤防復旧工事で、清水建設の動員力が他社をはるかに上回り、得意先から賞賛を得たことに関連して、当時の野地社長は、社報に「車の両輪」という題名で、「会社と兼喜会の信頼関係から生まれてくる真の協力体制ほど貴重であり、大切なものはないと思う。車輪はどちらか一方が故障したり、油が切れては滑らかな動きが止まるというたとえをかみしめ、仕事にあたってほしい」と書かれています。
現在は、パートナーという言葉も使われていますが、清水建設と兼喜会の両者の関係を示す「車の両輪」の理念は、歴代の社長に引き継がれているのです。